フォトグラファー 迫本航平について

砂時計寫眞プロフィール
砂時計寫眞こと迫本航平です
赤ちゃんのママが撮影してくれました ^^ ありがとうございます

はじめまして。
福岡を拠点に活動しているニューボーンフォトグラファー、砂時計寫眞こと迫本航平です。

赤ちゃんとご家族にとっての“かけがえのない時間”を、やさしく丁寧に残すお手伝いができたら嬉しく思います。

砂時計寫眞では、2023年にfotowaにて全国リピート率第4位、翌2024年には九州・沖縄エリア撮影件数第2位、全国リピート率第8位というご評価をいただいております。

安心・丁寧な対応を心がけてきた結果、200件以上のお客様から平均★5/5の高評価をいただいています。
新生児撮影件数はこれまでに120件を超え、多くのご家庭の「はじまりの時間」を写真に残してまいりました。

屋号の「寫眞(写真)」は、旧字体の持つどこかノスタルジックな語感を大切にしたいという思いから用いています。

ひと家族ひと家族との出会いを大切に、心を込めて撮影させていただきます。
どうぞ安心してお任せください。

生い立ちと写真

福岡県うきは市の父と、朝倉市の母との間に生まれ、大分県と福岡県の県境に位置する小さな温泉街のある山里の街で夏は蝉やカブトムシを追い、肥えた川魚を食べ、冬はみんなが半ズボンで雪遊びをする、そんな環境で育ちました。

父が若い頃からカメラ好きだったこともあり、少年時代にはカメラでよく遊んでいました。
母は熊本県天草の出身で熊本には何かと縁がありました。帯山町で生け花の先生をしていた親戚のうちを毎年訪ね、庭先で家族写真を撮るのが幼い頃からの恒例行事でした。

まだ幼いわたし達きょうだいもお洒落を纏わされたのが、今では楽しい大切な思い出です。^^

学生時代は熊本市で過ごし、友人たちとフィルムカメラ片手に撮り合いっこしたの思い出します。
デジタルカメラが普及し始めたこの頃、父から思い出の二眼レフカメラを譲り受けました。

当時はアルバイトで、エルセルモ玉姫の結婚式場や健軍町の丸勢会館の披露宴会場などで、新婦さんたちのエスコートをするブライダルボーイをやっていました。お腹に赤ちゃんのいる新婦様の先導や観察など学び深いものでした。
その後も結婚披露宴のウェルカムポスターやお葬式のご遺影のレタッチやプリントなどのアルバイトで走り回りました。

やがてそこそこ大手の会社に就職し、
上京後はウェブ版の東京エリア情報や桜前線情報などのカメラマン兼編集担当になります。
上司からいつでもカメラを所持して普段からアンテナを高くするように指示を受け、東京と大阪で自分なりの速度で駆け抜けた時期でした。この時期は主にスナップを撮る機会が多かったです。
デザイナーやフォトグラファーさん、ライターさん、プログラマーさん、プランナーさん、いろんなクリエイティブの方との協業の楽しさにすっかり仕事づけの日々をおくることになります。
自分自身で撮影やライティングを行うことも多かったのですが、ウェブマガジン全体のディレクションやメディア媒体価値の向上、そして社内力学なども仕事の多くを占めるようになりました。

やがて福岡に戻ります。
広報PRや商用・宣材写真の撮影やアドバイスなどを行うことが多くなり、中・小規模事業者さんのウェブなどを手掛ける担当者さんの育成に尽力しました。
地域で著名なフォトグラファーさんと並んで写真のアドバイスを行うこともあったため、自分なりに説得力のあるスキル向上を図りたくてウェディングフォトの仕事をするようになりました。

長い期間ではないもののしばらく福岡市内の教会や神前式、パーティ会場などでウェディングフォトの型もの撮影や披露宴のスナップ撮影などに従事します。
ウェディングフォトを選んだのは、撮影の瞬発力を鍛えられると考えたからです。たった一度のかけがえのない瞬間を美しく撮るというのは緊張感のあるものでした。

その後、もっと人の物語を撮りたい、かけがえのない人々の営みを撮りたいと、家族写真やニューボーンフォトを撮るようになりました。

fotowaさんの九州エリア内で撮影数やリピート数でそこそこ上位になった頃には、当初の写真力を高めて広報担当者の育成で写真にまつわる説得力を高める、という目的はどこかへ飛んでいきすっかり家族写真が好きになってしまいました。

赤ちゃんの始まりの物語や、家族の始まりの物語、友達との物語、成長の物語、恋の物語、、、
砂時計の降り積もる砂粒たちは、一粒一粒が大切な瞬間たち。
その儚くも愛すべき物語の瞬間たち一頁たちを、写真に残すお手伝いができることをこの上なく嬉しく思うのです。

砂時計寫眞 拝